月までの散歩道

昼間はポカポカ、夜はヒンヤリ。
まるで月に住んでいるかのような秋の一日。
空を見上げる時間も増えてるように思えます。

11/7(金)のガンダミンゴは、『松本零士さん特集』。
星降る宇宙を駆け巡る世界は、
僕らの心をどこまでも遠くへ運んでくれる気がします。


松本零士さんは、福岡県の久留米市出身で、
石ノ森章太郎さんと同い年&同じ月&同じ日。
つまり全く同じ日に二人の才能溢れるクリエーターが生まれてるんですね。

本名は松本晟(まつもとあきら)さん。
松本零士というペンネームの由来は、
「零歳児の感性をいつまでも忘れないというモットー」と
「夜半零時を過ぎないと度々アイデアが浮かばなかったこと」
に由来しているそうです。
あれだけ想像力豊かな作品の裏側に、
松本零士さんの人間味が見え隠れしてますね〜。

マンガデビューは1954年の『蜜蜂の冒険』という作品。
当時、なんと高校一年生。
手塚治虫さんが、旅行先の九州で原稿を書く際に、
アシスタントを頼んだというエピソードもあるそうな。

そんな松本零士さんはエピソードの宝庫。

昔、押し入れのパンツにキノコが生えた際に、
漫画家のちばてつやさんに食べさせたという逸話もあります。
・・・ホントかな・・・。
どんな味がしたんでしょう?
そしてそれは、何キノコ?

また逆に、手塚治虫さんに、
チョコレートうどんを食べさせられたこともあります。
『チョコレートうどん』って何ですか?
麺がチョコ?
汁がチョコ?

そんな松本零士さんは、宇宙への憧れが強く、
「片道でも良いから俺を宇宙に連れてってくれ」
という言葉を残しています。
片道でどうするのさ?
帰らないつもりなんでしょうかね?

代表作の一つである『宇宙戦艦ヤマト』は、
1974年10月6日から1975年3月30日まで放送。
ハイジの時も触れましたが、
ハイジ人気に勝てずに39回の放送予定は26回で打ち切り、
が、その後の再放送で火がつき、
77年に劇場版『宇宙戦艦ヤマト』が公開。
ファン向けに1週間だけやる予定で、
4劇場のみで上映したところ、公開初日から徹夜組が現れた。
日本の映画史上初めて出た徹夜組が、
この『宇宙戦艦ヤマト劇場版第一作』だと言われています。

この影響で、全国ロードショーされ、
翌年には『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』が公開され、
日本映画史上記録的なヒット。
アニメ史上じゃないですよ。
映画史上です。

この記録は89年の『魔女の宅急便』まで、
破られることはなかったというから驚きです。

今なお多くのファンを持つ松本零士さんの魅力を知るなら、
観てみないことには始まりません。

ちょいと宇宙へ一人旅。
そんな気分で観るのは、いかがでしょうか?
2007年11月12日 03:16 カテゴリ:フクダンチ
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