幕末の大村藩?

大村の史跡や歴史に
まつわるお話しをする
史跡チャンネル。


今回のテーマは

幕末の大村藩?です☆


前回は…

大村藩が
「大村藩1つの藩だけが
幕府を倒そうとしても難しい…」

「いろんな藩が協力して
幕府に対抗すべきだ」

と考えた結果…

勤皇三十七士を中心とした

作戦名

「一縄の策」

実行されていきました( ..)φメモメモ

その成果はいかに…

ってところで
終わってましたね♪

今日はその続き…

勤皇三十七士の活躍を
中心にお送りしました〜(*ゝω・*)ノ

前回に引き続き、
大村市役所文化振興課
今村さんに
お話をうかがってきましたよ。

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倒幕派となった大村藩は
「幕府を倒すためには
いろんな藩が
協力しないと倒せない」

と考え、

「一縄の策」計画を
実行していきましたが

この時代、
なにも大村藩だけが
この考えを
持っていたわけではありません。

かの有名な
土佐の坂本龍馬
その筆頭ですね(*ゝω・*)ノ

彼は当時仲の悪かった
薩摩の西郷隆盛と
長州の桂小五郎の
手を結ばせた人物と
されていますが、


実は!

大村藩の武士も
大活躍だったのです!!

三十七士の

渡辺昇(のぼり)

そのひとりです。

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渡辺昇は
剣の達人で
長州の桂小五郎の
弟弟子でした。

そのおかげもあって、
長州の武士と
交流も深く、
薩摩と手を結ぶよう
説得したのは彼だったと
言われているそうです\(゜ロ\)(/ロ゜)/スゲー!!


そんなこんなで

旧幕府軍VS新政府軍の戦い

戊辰(ぼしん)戦争
はじまりました。

諸藩が情勢を見守る中
大村藩は
最初から新政府軍として
戦いました。

これって
実はすごいコト
なんですって!!

負ける=
藩が弱くなる
or
藩がなくなってしまう

ってことだから、
ふつうは
どちらが優勢か
戦いが始まってから
どちらにつくか
判断する藩が
多いそうです!!

そんな大村藩の
中心人物は

渡辺清(きよし)

渡辺昇のお兄さんです。

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彼は西郷隆盛の
信頼が厚く
新政府軍の
参謀でした( ..)φメモメモ

兵力が乏しい
大村藩のリーダーであった彼は

その頭脳を活かし
旧幕府軍の要所
箱根の関を奪うなど
大活躍だったそうです\(^o^)/

さらに!

江戸城無血開城
会談の場にも
同席していたそうです!!スゲー\(゜ロ\)(/ロ゜)/スゲー


実は大活躍だった
大村藩。

戦いが終わった後は
その成果が認められて
薩摩、長州、土佐に
続いて

4番目に高い
報酬をいただきました(^◇^)♪

明治維新後も
政治の面で
活躍したり、
剣道の普及に
一役買ったり・・・

ともかく!
三十七士って
すごかったらしいんです(●^o^●)

大村藩勤王三十七士。

彼らを祀ってある史跡が
あります。

久島2丁目にある
護国神社内
旧円融寺庭園そば近くに

三十七士の碑

あります。

亡くなった順に
37つ並んでいます。

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今回は3人しか
ピックアップできなかったけれど

他の方々も
素晴らしい活躍を
された方々みたいですね〜。


やっぱり史跡って
歴史を知ると
見方が変わってきますよね…

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佐幕派贔屓だったけど
倒幕派の方にも興味が出てきた
イケちゃんでした〜((◆*´凵`w)
2013年03月06日 15:41 カテゴリ:大村の史跡チャンネル
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