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【最終回】地名の変化について…

地名は人が自然に働きかけたり、
日々の生活を通して地名が生まれ、変化し、
今日まで受け継がれてきました。
地名は生きていて、納得されたものが
そこの特色を表す地名として今まで受け継がれてきました。

つまり第一回の放送で久原先生が仰っていたように
地名は歴史的名札というわけですね!

しかし、最近は地名にも大きな変化がでてきました。
ひとつは市町村合併です。
長崎県内でも色んな地域で合併していき、
新しい町が出来ています!

長与町でも新しい地名が誕生していますね!
それはまなび野や長与ニュータウンなどの新しい団地です。
最近はビューテラス長与北陽台も出来ています。
大きなくくりとしての団地が地名になっていっています。
さらにこの地名はひらがなやカタカナなどの
分かりやすい表記になってきていることも。

この新しい地名について、
歴史的ではないからといって残念だとか、
いけないという意見も中にはありますが、
それについて久原先生は
「一概にそうとは言えない」と仰っていました。

というのも、地名は最初からあったわけではなく、
その時その時の必要性から生まれているんです。
新しい地名も歴史的になっていくのかもしれない…。
そう考えてみると地名が生きていること、
そして一番必要なものだけが語り継がれていくということがわかります。

最近、身近に新しくついて地名などが
残っていくかも知れないと考えると
今の変化そしてこれからの変化も楽しみですね♪

「地名は生きている」という言葉がとても印象的でした!
また、地名などは特に変わらないほうが良いと
思っていましたが変わることも必要になってくるんですね!
変わらないことが必要なときもあるし、
変わることが必要なときもある…。
地名の話でしたが、人生にも関係ある気がしました…。


久原先生には特集やコーナーで大変お世話になりました!
本当にありがとうございました。

久原先生は長与町の講座などでも講師を務められています。
気になった方はぜひ参加されてみてください。

2015年03月28日 09:56 カテゴリ:教えて!久原先生
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第8回 教えて!久原先生

第8回となった「教えて!久原先生」のコーナーを
お届けしました♪


今回は長与の山裾、
丘陵先端にある地形に基づく地名地名の平と尾について…。

町内には平がつくのは21箇所、
尾が付くのが19箇所もあります。

平は山すその平たいところや緩やかな斜面の所についていて、
一番多いのは大平という字で長与町内には4箇所もあります!
(岡郷、高田郷、本川内郷、吉無田郷)

尾は尾根状に少しとがった山という意味ですが、
丸い尾根という意味で長与町内には丸尾という字が3箇所も。
(岡郷、高田郷、嬉里郷)

長与町内の大平や丸尾という名前は、
町内の方々が山のふもとの地形が平かったり、
丸かったりする尾根や緩やかな斜面につけたのです。
そして、そんな土地を田やみかん畑などに利用しました♪

さらに長与は琴の尾岳が一番高く、
琴の尾岳から緩やかに川や海に向かって斜面が延びていますが、
その斜面の先端が平たい斜面なのか、
丸みを帯びた斜面なのかの違いで、
平か尾という漢字がつく地名になったのではないか
と考えられます。

一番重要なのが、この「平」や「尾」が使われている場所が
昔からみかん園として利用されてきたということです。
地名の違いは土地利用の違いにも関係してくるんですね!

しかも、みかん園だったというところが、
なんとも長与らしい!!!!!!!!

そのような土地には現在、新しい団地などが出来て、
更なる土地利用がされているのです♪


みなさんのお住まいの場所にもその場所の特徴と
特産品の関係性が見えてきたりするかもしれませんね♪

2015年02月21日 09:56 カテゴリ:教えて!久原先生
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「谷」って色々あるんです!

教えて!久原先生のコーナーも残すところラスト3回・・・早いものですね。
第7回の今回は谷を示す地名[迫・谷・川内]をご紹介しました。

実は意外と「谷」を示す「迫・谷・川内」という地名が多いみたいです。

「迫」は皿のように平たいお皿のような窪地についていることが多く、
「谷」は狭くて少し傾斜になって深い、文字通り谷についていることが多いそうです。昔の人は「迫・谷」を土地の特長によって名前を区別していたようです。

また、「川内」は、南田川内や本川内など大きな集落のあるところについていることが多く、川というよりも川沿いの平地、川沿いに人が住んでいたり、田んぼや畑があるところに地名があることが多いようです。

「迫・谷・川内」それぞれ谷を示す地名ですが、三者三様に違いがあります。それは長与川から開けた長与町だけど昔の人はピシッと谷の違いを分けて、地名をつけていたことがわかりますよね。また、昔の人たちが自然と関わりあいながら生活をしていたことがわかります。

長与町に限らず「谷」を示す地名は皆さんのお住みの地域にもあると思います。そこを通りかかるとき特徴を意識しながら通ると、いつも通る道が少し変わって見えるかもしれないですよ♪私も改めて、長与町内を散策したいと思います。


2015年01月10日 09:55 カテゴリ:教えて!久原先生
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縁起を担ぐ?

教えて!久原先生のコーナーは第6回を迎えました♪

今回は吉無田郷の吉無田について。

吉無田は長与を代表する大字(郷)ですが、
これにも長与らしい自然地形を表す地名が隠されているそう。

「吉無田」は吉と無田に分けて考えます!
吉は水草の芦を意味するのですが、
悪い(=悪し)という意味の「あし」につながることから
ヨシ(=吉)になったのだそう。

無田は湿地を意味しており、ニタとかヌタと同じように
湿地を表す意味と同じように使われます。

現在、吉無田郷となっている場所は
水草の芦が生えるような沼地、
川のそばの湿地帯だったと考えられ、
長与駅から長与川が広がる部分に
広い低湿地があったのかもしれないとのことでした!

そういったことから吉無田は地形をよく表していると言えます。
おそらく長与川の両側を埋め立てたり、盛り土をしたりして、
今は人が住めるようになっているところでも、
昔は川の両側に広い川があり、
水草が生えるような湿地があったのかも知れません。

他にも町内にはクロニタとかヤマニタ、ヨシダなどの小字があり
これらも湿地の地名です。

芦の生えるような田んぼという意味があって、
付けられたのかもしれません(^^)

これらの地名は長与だけでなく色んなところにある
地名でもありますよね♪


みなさんのお住まいの地名からは
どんな昔の姿がみえてくるんでしょうか♪



2014年12月13日 09:56 カテゴリ:教えて!久原先生
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素敵な地名

長与町の339ある小字の中でも一番使われている漢字、「田」。
今回は、そんな「田」のつく小字の中でも「八反田」や「一丁田」のように数字と面積を表す地名についてご紹介頂きました。

この地名から分かるのは、昔の人々が新しく田を切り開いた際の面積。
昔の面積単位は小さいほうから
一歩(いちぶ)< 一畝(いっせ)< 一反(いったん)< 一丁・一町(いっちょう)


これを踏まえて、地名を見ると、
「昔この辺りには広い田んぼがあったんだなぁ〜」
と想像も膨らむわけです。


そして大事なのは、恐らくこうして付けられた地名のほとんどは個人で田を切り開いたのではなく、周辺の人・もしくは藩などの組織単位で一緒に切り開いたのでは・・・ということ。
昔の人々が協力して行ったことが、今も地名として残っているのです。
そう思うと何だか愛着が湧いてくる素敵な地名ですね!


私が小さい頃よく遊びに行っていた思い出の「八反田(はったんだ)公園」
「変な響きの名前だなぁ〜」と思いながらも慣れ親しんでいたのですが、これからはその響きに“温もり”もプラスされて、何だか嬉しくなりました(*^^*)


来月はまたどんなお話が聞けるのでしょうか?
『教えて!久原先生』次回もお楽しみに〜♪

2014年11月15日 09:56 カテゴリ:教えて!久原先生
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時空を超えて見える景色…

長与町には339の小字(小さな地名)があるのですが、
漢字で言えば2文字とか3文字だったりします。

長い地名のものもあって、
山とか川など地形を表す地名も多いですよね。

地名の場合は、「青い山」とか「大きい川」など
最後に付く漢字が重要とのこと。

そして、長与では田んぼの「田」が多く使われています。
江戸時代は年貢=米を納めるのが一番大事な時代で、
長与の方々はせっせと田んぼを耕して、
年貢を納めていたことが小字に使われている漢字から分かります。

江戸時代の200数十年の間で、
長与のたんぼの面積は二倍近く増えていて、
この「田」という地名は長与川や主流のところに分布しているそう。


このことから考えると、昔の方々が一生懸命田んぼを耕して、
それが結果として地名として残っているのです。
しかも、それが長与の中心部である長与川周辺にあるのです!


つまり…
もっとも長与らしい地名として「田」が残っていることがわかります。


昔の長与は今の時期、
稲刈りに精を出していたのかもしれません…。

2014年10月18日 09:56 カテゴリ:教えて!久原先生
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昔の様子が見えてくる…

今回は長与の小さな地名=小字について教えていただきました!

地名には長崎県、長与町、長与町内で言えば
嬉里郷とか丸田郷など…郷につく地名がありますよね!
これを大字といいます♪

それに対して、小さい単位の地名・小字
郷の中に嬉里郷で言えば21もあるんです!
例えば、田んぼとか畑についた字(あざ)で
長与町には339あります。

地名は生産活動が活発なほど、小さく地名が付くそうです。
※田畑などの耕作をしていた…漁業が盛んだったなど…
339もの地名があるということは
長与でそれだけ積極的な活動がされていたんだという歴史ある証拠なんです!

地名から昔の長与がどんな様子だった分かるワケです!
驚きです(*^^*)

色んな漢字が使われているのですが、
次回はどんな字が使われているか教えてくださるそうです♪

2014年09月20日 09:56 カテゴリ:教えて!久原先生
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第2回 「おしえて!久原先生」

第2回 「おしえて!久原先生」

今回は、「長与の由来」について

お話を伺いました。


◎長与の由来◎
3つ仮説をご紹介します☆
まずは、一般的な仮説を2つ・・・

仮説1
神功皇后が長与に来たとき、なかなか寒くて眠れず、長い夜だなと言って長与とよばれるようになった。

仮説2
鎌倉時代の文献の中に長与が「ながえ」と載っている。長崎の地名の由来が岬が長くて長崎のように、長与も長い入り江があるので「ながえ」と言われていて、その後、「ながえ」が長与になったのではないか。

そして、3つ目の仮説は・・・・・
なんと久原先生がたてた仮説です!!!
仮説3
長与の「与」を今の漢字ではなく、昔は「輿」という漢字を使用していた。「輿」には「とち」や「だいち」という意味があり、「長輿」は長く細い土地なので長与となったのではないか。

「長与」という言葉だけでも、色々な考えができるのは楽しいですよね!皆さんも住んでいる地域の由来を調べてみたり、久原先生のようにオリジナルの由来を考えるのも面白いと思います♪

2014年08月16日 09:55 カテゴリ:教えて!久原先生
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新コーナー!!!!

=========教えて!久原先生=========


このコーナーでは毎月一回、
長与町の歴史や地理に詳しい久原先生と一緒に
長与町の地名を通して、長与町の魅力に迫っていきます。


◎今回のお話◎
「地名とは」


地名は土地に刻まれた名札と言え、
山や川などの自然から付いたり、
田や畑など生産活動の結果としてつけられるそうです。

地名が「そこはあまり正しくないよ」
「時代が違って正しくないよ」という場合になれば、
地名が変わることもあります。

現在の地名がいつ付けられたかは
その場所場所によって異なりますが、
地名はその土地に刻まれた歴史で、
もっと言えば歴史的な名札、
言い換えれば先祖が受け継いできた
文化的・歴史的な遺産といえます。


次回8月はどんなお話が聴けるのか楽しみですね♪

2014年07月19日 09:56 カテゴリ:教えて!久原先生
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