2014.9.17
(09/17 イベント情報)
みなさんこんにちは!
3連休どうすごしましたか?
とりあえず言いたいことが
フ ラ さ ん お 帰 り!
4人揃ってこそのおむらんちゃんねるですからね
では今週も張り切って参りましょう!大村の史跡や歴史を学べる史跡チャンネルがめでたく復活しました!
さぁ今回は
浜田謹吾少年と姉妹都市角館(かくのだて)の紹介です!
角館とは?
秋田県仙北市にある地名、現在も武家屋敷が多く残っておりしだれ桜も有名で
東北でも有数の観光地として知られ、みちのくの小京都とも呼ばれています。
1868の戊辰の役 東北で唯一新政府側であったため孤立し他藩に攻められていました
そこで大村藩を始めとする新政府側の援軍が駆けつけ、多くの戦死者を出すものの角館を守り通す事が出来ました
そしてその大村藩戦死者の中に浜田謹吾と言う少年鼓手がいました
戊辰戦争時に奥羽(現在の東北地方)征伐軍の二番手鼓手として従軍
※進軍する時に隊列が乱れないようにしたり兵士を勇気づけるために太鼓を叩く
明治元年9月15日 出羽、刈和野の戦いで銃弾を受け角館で死亡 享年15
刈和野の戦いは激しい銃撃戦が行われており
今でも銃弾が発見されることもあるそうです。
今と昔の人の考えが違うとはいえ
15歳で親元を離れ、銃弾の飛び交う戦場に行くなんて‥
資料を読んでいるうちに、いつのまにか目から汗が出ていました
着衣の襟元に
「ふたばより手くれ水くれ待つ花は 君がためにぞ咲けよこのとき」
と母親が子供の事を思って書いたであろう布が縫い付けられていました。
これを見た現地の方は感激し、手厚く葬ったそうです
そして大村には昭和61年、角館には翌年の62年
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