2014/1/22
(01/22 イベント情報)
神社の周りは石垣で囲まれており、その外側には堀もあります。
これはここが海であった証拠らしいのです。
そして、境内には伊勢神宮の御師(おし / 神主)が訪れた際に
休息するための御師屋敷もあったそうです。
皇大神宮神社には天照大神(アマテラスオオミカミ)が祀られています。三重県・伊勢神宮と深い関わりがあったため、その昔には伊勢神宮の御師が訪問していたようです。
戦国時代には竹松・小路口にあったそうですが、キリシタンによって破壊されてしまったようです。
その後、1630年代(江戸時代)に村人により再建され、
1841年(天保12年)に現在の場所へ移されました。
崩壊してしまった神社が、なぜ再建されたのか。
3代藩主・大村純信(すみのぶ)は3歳にして、大村藩の藩主となりました。しかし、引継ぎの時期に純信は病気になってしまい、その身を案じた家臣達が伊勢神宮にお参りに行ったようです。その繋がりから、皇大神宮神社が再建されたと伝えられています。
御師(おし)とは伊勢神宮の神主を指す言葉なのですが、御師は伊勢神宮のお札を全国に配っていました。御師からお札を受け取った地方の檀家は伊勢神宮へのお供え物を御師に渡していたそうです。そのお供え物を御師が伊勢神宮に納めることにより、地方にいながら伊勢神宮を参拝したことになる、そういうシステムが確立されていました。
キリシタン大名として有名な初代藩主・純忠も伊勢信仰を推し進めていたそうで、大村と伊勢神宮は関わりが深かったようです。
全国を行脚していた御師と信仰深い地方の人々。
皇大神宮神社はその繋ぎ役を担っていたのです。
歴史や時代背景を知った上で参拝すると
神社が一回り大きく見えてきます。
皆さんも今一度、当時を思い浮かべながら
神社を参られてみてください。
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